限られた時間・予算で始める:自治体向けデザイン思考スモールスタートガイド
はじめに:自治体におけるデザイン思考導入とリソースの現実
近年、公共サービスの質の向上や住民満足度の向上を目指し、デザイン思考への関心が高まっています。複雑化する地域課題に対し、従来の画一的なサービス提供ではなく、真に住民ニーズに基づいた、創造的かつ実効性のあるアプローチが求められているためです。
しかしながら、多くの自治体では、限られた時間、予算、人員といったリソースの制約が厳然として存在します。デザイン思考の導入は魅力的である一方、「時間も人員もかかる」「成果が見えにくいのでは」といった懸念から、なかなか第一歩を踏み出せない、あるいは試行錯誤を繰り返している管理職の方々もいらっしゃるのではないでしょうか。
本稿では、こうした自治体特有のリソース制約を踏まえつつ、デザイン思考を効果的に導入・実践するための「スモールスタート」という考え方とその具体的なアプローチについて解説します。小さな一歩から始め、着実に組織内にデザイン思考のエッセンスを取り入れるためのヒントを提供いたします。
なぜスモールスタートが有効なのか
デザイン思考を組織全体に一度に浸透させようとすると、大きな抵抗や非効率が生じやすい場合があります。特に限られたリソースの中では、無理な拡大は頓挫のリスクを高めます。
スモールスタートには、以下のようなメリットがあります。
- リスクの低減: 小さな範囲で試行することで、失敗した場合のコスト(時間、予算、人員)を最小限に抑えることができます。
- 早期の成功体験: 小さな成果であっても、具体的な成功事例を示すことで、関係者の理解や協力を得やすくなります。これは組織内でのデザイン思考推進の大きな力となります。
- 学習と改善の機会: 実践を通じて得られた知見や課題を次のステップに活かすことができます。組織やチームの状況に合わせた最適な導入方法を見つけるための重要なプロセスです。
- 関係者の巻き込みやすさ: 特定の小さなプロジェクトであれば、関心のある職員や関係者を限定的に巻き込みやすく、協力を仰ぎやすい傾向があります。
スモールスタートのための実践ステップ
限られたリソースでデザイン思考を始めるための具体的なステップを検討します。
1. テーマ選定:小さく始めるためのスコープ設定
最も重要なのは、取り組むテーマの範囲を小さく絞り込むことです。
- 対象者の限定: 特定の部署の業務改善、特定の属性の住民が利用するサービスなど、関わるステークホルダーやユーザーを限定します。
- 課題の限定: 広範な課題ではなく、特定の担当者が具体的に把握しており、比較的早期に変化が見込めるような小さな課題に焦点を当てます。例えば、「特定の申請手続きの待ち時間を短縮する」「特定の窓口業務でよくある問い合わせを減らす」などです。
- 期間の限定: 3ヶ月や半年など、短期集中で取り組めるプロジェクトとして設定します。
- 目的の明確化: 「〇〇手続きの満足度を△%向上させる」「〇〇に関する問い合わせ件数を△件削減する」など、測定可能な具体的な目標を設定します。
2. チーム編成:少数精鋭でのスタート
必ずしも大人数でなくとも、意欲のある少数メンバーでチームを編成します。
- 異分野の視点: 課題に関係する部署だけでなく、異なる視点を持つ部署からの参加者を含めると、より多角的なアイデアが生まれやすくなります。
- 権限と責任: スムーズな意思決定のため、プロジェクトリーダーには一定の権限を与え、役割と責任を明確にします。
- 外部知見の活用: 必要であれば、デザイン思考の実践経験がある外部の専門家やコンサルタントに、限定的なアドバイスやファシリテーションのサポートを依頼することも有効です。予算が限られている場合は、ワークショップ形式でのスポット支援などを検討します。
3. フェーズ別実践のヒント:効率的な進め方
デザイン思考の各フェーズを、限られたリソースの中で効率的に実践するためのヒントです。
- 共感(Empathize):
- 既存データの活用: これまでの住民からの声、アンケート結果、窓口での記録、統計データなど、既に組織内に蓄積されている情報を最大限に活用します。
- 簡易インタビュー: 対象となる住民や職員数名に、短時間・非公式な形式でインタビューを実施します。大掛かりな調査ではなく、ざっくばらんに話を聞くイメージです。
- 現場観察: 実際のサービス提供現場や利用状況を短時間観察します。
- 定義(Define):
- KJ法やアフィニティマップ: 共感フェーズで収集した断片的な情報を、少人数で短時間で行うKJ法やアフィニティマップを用いて整理し、隠れたニーズや本質的な課題を特定します。
- 課題ステートメントの言語化: 特定された課題を、誰が(ユーザー)、何に困っていて(ニーズ)、なぜなのか(インサイト)を含めて、簡潔な一文で定義します。
- 創造(Ideate):
- 制限付きブレインストーミング: 「予算10万円でできること」「3ヶ月で実現できること」など、意図的に制約を設けることで、より現実的で具体的なアイデアを生み出しやすくします。
- オンラインツールの活用: MiroやFigJamなどのオンラインホワイトボードツールを活用すれば、物理的な制約なく、離れた場所にいるメンバーとも効率的にアイデア発想や整理が可能です。無料または安価なプランから試すことができます。
- プロトタイプ(Prototype):
- ペーパープロトタイプ: サービスの画面遷移や書類の流れなどを、紙とペンを使って手書きで作成します。最も手軽で安価な方法です。
- 簡易モックアップ: PowerPointやKeynoteなど、既存のツールを使ってサービスのUIなどを再現します。
- ロールプレイング: 職員同士でユーザー役とサービス提供者役に分かれ、サービスの利用場面を演じてみます。
- 既存リソースの活用: 既存の施設やITシステム、手続きなどを、部分的に変更したり組み合わせたりして、新しいサービス案を形にします。
- テスト(Test):
- ターゲットユーザーへの試用: 作成したプロトタイプを、対象となる住民数名や関係部署の職員に試してもらい、率直なフィードバックを得ます。大勢ではなく、代表的な意見を聞くことに焦点を当てます。
- 効果測定指標の確認: 設定した目標に対して、プロトタイプがどの程度貢献しそうか、定性的なフィードバックから予測します。
4. ツールの選び方:必要最小限で効果を最大化
高価な専門ツールは必須ではありません。既存のオフィスソフトや、無料・安価で利用できるツールを活用します。
- 情報収集・整理: 付箋、ホワイトボード(または模造紙)、スプレッドシート、テキストエディタ
- アイデア発想・可視化: オンラインホワイトボード(Miro, FigJamなど)、PowerPoint, Keynote
- プロトタイプ作成: 紙、ペン、PowerPoint, Keynote, 無料のモックアップツール(Figmaの無料プランなど)
5. 成果の示し方:小さくても具体的な効果を可視化する
スモールスタートで得られた成果を、関係者や組織に示すことが次のステップにつながります。
- 定性的な成果: ユーザーからの肯定的なフィードバック、職員のモチベーション向上、チーム内の協力促進など、数値化しにくいが重要な変化を具体例とともに伝えます。
- 定量的な成果: プロセス改善による時間短縮、コスト削減の見込み、問い合わせ件数の微減など、可能な範囲で数値データを示します。
- ストーリーテリング: どのような課題に対し、どのように取り組み、どのような変化や気づきが得られたのかを、関係者の声などを交えて物語として語ることで、共感を得やすくなります。
まとめ:スモールスタートから持続的な実践へ
自治体においてデザイン思考を導入・実践することは、住民中心のサービス提供や職員のエンゲージメント向上につながる重要なアプローチです。限られたリソースの中でその第一歩を踏み出すためには、「スモールスタート」という考え方が非常に有効です。
小さなテーマで、少人数のチームで、既存のリソースや安価なツールを活用しながら、デザイン思考のプロセスを体験してみてください。そこで得られた小さな成功体験や学びは、組織内での理解促進、さらにはより大きな課題への挑戦に向けた重要な糧となります。
まずは一歩、試してみてはいかがでしょうか。その経験こそが、自治体におけるデザイン思考の定着に向けた確かな土台となるはずです。